観戦記

坂口安吾


 対局は十二月九日。名古屋であった。
 升田八段は七日に名古屋へついていた。
 木村前名人と解説係の加藤博六段、立合人の大成会関本氏、それに私は八日の午前七時四十分発急行で東京をたった。
 升田八段も七日の同じ汽車で東京をたったのだが(彼は東京へ遠征中だったから)朝寝坊で乗りおくれては、と、前晩は朝日新聞社へ泊りこんだそうだ。毎朝二時ころから起きている私は驚かないが、木村名人は四時ごろ起きて私線の一番電車に乗らねばならないから、こぼしていた。
 塚田名人は対局の二日前には必ず対局地へ到着して静養しているそうで、その心構えは偉いものだと木村前名人が感心している。
 午後三時に名古屋へついて新東海新聞社へ行くと、升田八段もやってきた。
 升田八段は初対面だ。復員姿、マーケットのアンチャンという身のこしらえで、ヘンプクを飾ることなど念頭にない。その面魂、精悍、鋭い眼光である。
 名古屋だってウマイコーヒーぐらいあるんだというわけで、新聞社の親玉連七八名とドヤドヤとコーヒー店へなだれこんで、二杯ずつのむ。私だけ、そんなものはコンリンザイ二杯などは飲まない。私は自家用のニッカウヰスキーをポケットへいれて東京を出発しているのである。
 さらばというので、設けの酒席へ赴く、停電でローソクだ。
 テーブルを部屋の三方へ三つに離して分けて、木村、升田両々激しく敵愾心を燃やしているから、別々のテーブルへ坐らせよう、という新聞社の苦心の策だが、酔っ払えば苦心もヘチマもない。
 わが愛用のウイスキーは酒量の少ない木村前名人にグラスに二杯だけ分配し、あとは大酒飲みの升田八段と私がのむ。私のテーブルは升田八段の外に酒豪が二人、さてこれより酔払う、酔えばどうなるか。わかり切った話である。
 升田八段は大阪人特有の開放的な、なんでもザックバランに言うような人物であるから、これも万事控えめな東京人気質から傲慢ととられ易いところがあるが、根は礼儀正しい人物である。
 酔払って傲慢不遜、人を人とも思わなくなるのは、升田八段に限らない。私もそうだし、たいがいそうだ。すべて芸道の人は、その道にウヌボレなしには生きられぬものであるから、酔えば誰しもそのウヌボレが顔をだすのは自然の情である。
 酔って、はじめのうちは、升田は弱いと東京の奴は言いよるけど、ちゃんと勝負に勝っとるのやから、仕方ないやないか、などとブツブツ言っていたが、困ったことに、私がまた酔払ってアジルのが大好物で、その道の名人なのである。私が一枚加わっては、もう荒れること瞭然であるが、新東海のお歴々、みんな初対面だから、そこまでは御存知ない。
 対局の前夜であるから、少しは酒量を控えるかと思うと左にあらず、私と二人でウイスキーを一本あけて、さらに日本酒をガブガブのむ。私のような良からぬ相棒がいたせいかも知れぬ。さすれば升田八段は気の毒で、もっとも前夜にはガブ飲みすべからず、という今後の用に立つかも知れぬ。
 とうとう最後に、木村など全然怖くない、オレが強いに極っている、ということになる。なんべんでも勝つ、彼は立膝して前名人に叫ぶのだ。
 酒量は少いが前名人も酔払っている。なんの升田ごとき、という気概は胸底に烈々たる人物であるから、イヤ、オレが強い。まだまだ升田ごときにオクレはとらぬ。満々たる自信を叫ぶ。人々の頭越しに叫び合う。
 御両名をアジっておいて、アジリ放しという不手際な私ではない。両々共に強し、木村にして勝負は徹するの悟りを得たなら、又その力量底を知るべからず、めでたくマトメて、宿へ引上げる。又これからが大変。
 宿は葵荘というところで、ここが同時に明日の対局場でもあった。
 私は酔っ払ったから、もうねむたいのだが、前名人、碁をやろうといって、きかないのだ。前名人は碁の初段で、升田八段が、また、ちょうど同じくらいの打ち手なのでなる。私は二目の手合で、前名人に敗れ、升田八段に持碁であった。
 つづいて、木村升田の対戦となる。これがまったく、喧嘩腰の対戦、碁の方でも、オレが強い、なんの、お前なんか問題じゃない、両者なお酔っ払い、酒席のつづきで、敵愾心猛烈をきわめている。まったく、殺気立っているのである。
 この一局、木村前名人の十目ちかい負けとなったが、口惜しがること、まことに無念の形相である。
 両々の敵対意識があまりスサマジイから、新聞社の喜ぶこと、私ももとより大喜び。大成会の関本氏まで、これは明日は面白いですな、すごい敵愾心ですな、とよろこぶような始末であった。
 木村、升田両棋士は各々別々の一室に距て、ねむることとなり、私たちも寝ようとすると、木村前名人、私のところへ遊びにきた。
 そこで、私が釈迦に説法という奴だが、色々と心理的な見方から勝負ということの本質について、一席またアジルところがあった。
 私は木村、升田どちらも大好きなのだ。棋士のうち、この両名が頭ぬけて好きだ。それは強いからである。
 升田八段は旧来の型というものに捉われておらぬ、勝負の原則は、常にただ一手勝てばよいという、その原則を骨身に徹して、常にそこから将棋をさしている人だ。
 木村前名人また本来そういう人である。彼が現在升田のような新人なら当然そこから出発すべきたちなのだが、一昔前に完成したから、そうでないだけの話なのである。
 人は時代的にしか生きられないもので、同じ才能の人でも、各々の時代によって、違った出来上りになるものだ。
 木村前名人は元来が徹底した勝負師であるから、升田八段が将棋の心棒としている勝負の原則は、本来カンによって知りきっていた筈である。ところが時代というものがあり、そういう実質的な態度を理論的に身につける地盤がなかったから、自らの本質とかけはなれた出来上りになり、いかにも円満な大人になり、将棋まで大人になった。
 然し、文学などとなると一度完成した自分の型から脱出することは甚だしい困難であるが、将棋の方は、勝敗のある勝負であるから、相手の発見によって、又、こちらも自我の新発見ということが行われ易いのである。
 升田八段は木村前名人の完成した型の欠点の省察を地盤にして勝負本来の原則を知り、そこから出発したが、今度は逆に、升田の手法の発見によって、木村本来のものを発見し得る立場にめぐまれた。
 なんと言っても木村前名人はその力量なお底を知るべからざる大豪の者であるから、勝負本来の原則を踏みしめて立つ自分を発見するなら、飛躍的な新展開、シンラツな怪力、目ざましい再生がある筈である。そして、その再生は、升田を相手に行われるものであるに相違ない。
 将棋は、勝負は、これ又常に創作である。
 常に相手に一手勝つ、いつも一手勝つという創作だ。
 将棋というものを何も知らない私が、天下の前名人に三十分ほど将棋の講釈をしたのだから笑わせるが、これも酒のせいである。
 然し、この対局が前名人の勝に終って後に、坂口さんの昨夜の言葉が案外きいているかも知れません、と加藤六段が言ってくれたので、私もまァ面目玉を失わずにすんだ。前名人が寝室へ引上げた時、ちょうどもう零時になっていた。
 私は前名人が引上げて、とたんに酔いがさめて、ねむれなくなった。宿屋にも酒がなく、外へ飲みにでるにはもう零時をまわっている。ウツラウツラねむれぬうち四時になり、仕方がないから、起きて七時ごろまで原稿をかいた。
 七時ごろ一人散歩にでて、戻ってくる、加藤六段、関本氏は目を覚ましたが、両棋士は目をさますまで起すまい、ということにした。
 九時半になり、新聞社の人もつめかけてくる。それではと起すことにした。
 前名人に、どうです、よく眠れましたか、ときくと、ええ、ゆうべおそくまで騒いだから、あれが良かった、僕は夜更かしだから、おそくまでワアワア騒ぐと、よくねむれますよ、という返事であった。
 升田八段*2はねむれなかったらしい。酒飲みは、酔いがさめると眠れなくなるもので、この点、木村、升田は睡眠の型が違うのだから、対局前夜は独自の手法をとるべきであろう。
 この旅館には三日前に土蔵破りがあった由で、土蔵は升田八段の寝たハナレの裏にあるから、一時間おきぐらいに警官が見廻りにくる。この跫音が気がかりで、全然ねむれなかったそうである。顔色が蒼い。
「女が忍んでくるんやろうかと思うて戸をあけてみたら、お巡りや」
 と自嘲のような笑い方をする。死んだ織田作と同じ笑いだ。大阪の笑いであろう。
 十時ごろ揃って朝食をとり、手合い室へ行く。ここは前夜升田八段がねむれなかったというハナレである。
 昨夜の酒席から宿の喧嘩碁まで持ちこしてきたあの敵愾心、あの殺気は、今はない。
 両名ケンソンで、至って礼儀正しい。
 前名人、床の間を背にした方へ、当然のように坐る。神田八段だったら、こんなところでもう癇癪を起したかも知れぬが、升田八段はそんなことには、こだわらない。向いの席へヒョイと坐る。そんなことは全然意識していないのである。
 十時二十五分対局開始。*1
 旅先のことであるから、前名人は背広、升田八段は軍服の復員姿、ちょっと将棋会所の風景で、しかし、キチンと坐っているから、なお妙だ。午後二時に中食休憩となるまで、御両名いささかも膝をくずさないから、これには私が驚いた。
 両棋士、全然喋らず、呟きもせず、十六手まで、すすむ。
 ここで木村前名人七分考え、ここが策戦の岐路だな、と呟いたが、六六歩。
 すると升田八段が、ウアア、ウウ、とデッカイ声で唸って、復員姿をピョンと直立させたかと思うと、ガクンと勇ましく、かがみこんだ。口をへの字に、大目の玉で盤面をハッタと睨んで、勇気リンリン、勇気リンリン、勇気リンリンか、と唸っている。
 前名人は、ゆっくりと静かに瞑想型、盤面から顔をあげ、天井を見て目をとじたりからだを起して紫煙をはいたり。ところが、升田八段は、駄々っ子が好きな遊びに打ちこむ様子、面白ずくの勇み肌、そこへ寒さという伏兵が参加するから、貧乏ゆすり、肩をすくめて膝小僧にギュッと握り拳、ウウと唸り、ハッタと睨み、まことにどうも勇ましい御瞑想である。
 升田八段の五一角で、前名人二時間八分の長考がはじまる。すると升田八段どっちの手番だか分らぬような意気込みで、長考のオツキアイ、エイッとかがみ、ハッタと睨み、勇ましい。
 そのうちに、失礼します、と叫んだとたんにピョンと立ち、三四分してヒョイと戻って、失礼しました、とチョイと坐る。まことに、リリしく、礼儀正しい。
 すると女中が毛布を一枚もってきた。つまり、升田八段、それをたのみに行ってきたのだろう。私をニヤリと見て、
「サコツの方が冷えるからね」
 と膝を毛布でくるんだ。
 木村前名人、二時間八分考えて、むつかしいと呟いて、三六歩。
 敵が二時間八分を考えたのだから、こっちもオツキアイに考えるかと思うと、どう致しまして。前名人が三六歩*3、まだその手が引込まないうちに、オレの方が先だというみたいに、升田八段ヒラリと手をだして三三銀と上っている。
 何を小癪な、その気ならば、と前名人も、引っ込みかけた手をすぐ延して、それから御両人、全然盤から手をひっこめず、バタバタと十手あまりお指しになる。将棋だからバタバタとコマを動かすばかりだが、ケンカならパチパチと横ッ面をヒッパタキ合ったところである。
 私も昔、日本棋院で、コンガスリの十二三の小僧に何目かおいてお手合せを願ったとき、私が五六分も考えて石をおくと、小僧先生グリコをしゃぷってワキ見をしながら、間髪を入れず、ヒョイとおく。まるでもう、からかわれているようで、シャクにさわるものである。
 専門家でも同じことで、こっちが大長考して指した手に、まだそのコマから手もはなさぬうち、ヒョイとさされる。シャクにさわるそうである。
 加藤六段の説によると、昔は木村前名人がこれが得意で、相手を口惜しがらせたそうだが、升田八段にはオカブをとられた。
 何クソと、木村前名人、相手をヒッパタキ返すから、面白い。
 然し、前名人、偉かった。二時間八分、全然ムダをしたのである。二時間かけて考えた急戦策を、ミレンなく捨てて、あたり前の手をさしたのだ。七時間のうち二時間のムダはつらい。
 文学もそうだが、二百枚書いた小説を、気に入らなくて、破りすてて、改めて書きだすのは、むずかしいものだ。然し、それをやらないと、傑作はできない。
 バタバタバタのヒッパタキ合いが、どうやら落付いて、木村九六歩。
 すると升田エイッと直立、ヤッとかがんで盤をギロギロねめまわし、ゴウシュウの戦端ここにひらかる。ゴウシュウの戦端。ゴウシュウ戦。ゴウシュウ戦。と呟きはじめた。
 まもなく、ヒューヒューと口笛をふき、ププププと口笛をやる。進軍ラッパのつもりらしい。
 ここらあたりの三吉さんとか何とか唄を唄って、七分、六四歩とつく、一六歩。六二飛。パチリと叩きつける。ここで木村前名人の長考の途中、午後二時、中食休憩となる。
 中食はウナドン。休憩一時間、両棋士、盤側のまま、雑談のうち、三時再開。
 キチリと再び向い合う。しかし御両名、こんどはアグラである。前名人は長考のつづき。升田八段は、昨深更、見廻りの巡査の跫音を泥棒かと思って、きおったら何をぶつけて逃げたろうかと思うて、策戦をねっていたと、たのしそうに喋っている。すると前名人、ジロリと薄目でみて、
「君じゃア、向うが逃げるよ」
 冷たく浴びせる。升田八段、くったくなく、一段とたのしげに、
「どうもお見それしましたと言うて」
 と高笑い。
 五分ほどのち、前名人坐り直して、考えこみ、やがて、四五歩。
 すると升田八段、便所へ立ったが、今度はもう、失礼します、などとは言わない。春夏秋冬、月又何とかむつかしい漢詩みたいなものを唸りながら、戻ってきて坐った。
 升田八段は私に何だかきき分けられぬむつかしい漢詩みたいなものを相当豊富に心得ていて、よく呟く。いつもネタが違っているから、大したものだが、漢詩のつもりで聴いていると、浪花節であったりするから、あんまり信用はできない。
 十分考え、これも気合いだろう、と六五歩。
 隣り座敷に午すぎから宴会が始まり、三時ごろから、うるさくなり、合唱が起ったりする。女の嬌声。男の蛮声、つつぬけで、木村前名人がうるさがあるのは尤もであるが、升田八段は、隣り座敷の話し言葉を受けとって、コブン、コブン、か、呟きながら考える、考えながら合唱に合せて唄いだす、笑いだす、忙しそうに便所へ行く、隣室の騒ぎも一向気にならないようすである。
 停電で、ローソクがくる。
 警察のリンケンがあって、宴会も一時に静まり、このハナレへも見廻りにきて、
「ここは木村、升田将棋戦です」
「嘘じゃないでしょうね」
「あれほど新聞にデカデカと書き立ててるじゃありませんか」
 と新聞社の人が一尺ばかり唐紙をあけて見せると、ひき下ったが、すると、又、宴会が益々もって馬鹿騒ぎになってしまった。
 隣室がうるさくなると、升田八段、それにつれて、ゲッテモノカ! と叫んだり、考えながら急にフフフフと笑いだしたり、四五銀を木村同飛ととると、大きな声で、オトクサンカ! と叫んだり、忙しそうにコマ台の歩をとりあげて、コマ台にパチパチ叩いて、やめにする。七分考え、四四銀打。
 木村、そうだろうな、と呟き、むつかしい、それから、又、むつかしいところだな、と呟いて、再度の長考が始まった。
 隣室から、雨のブルースの合唱。前名人、うるさげに、つまらん唄をうたってる、と呟くが、升田八段は賑やかさに悦に入り、笑い声をたてている。こっちも石山寺の秋の月、とか、色々と小声で唄う。
 六時半に電燈がついた。そのとき、あと二時間です、と記録の少年から前名人へ。
 そのころから、升田八段、もはや唄わず、急に熱心に読みだした。両々劣らず、嚙み合うように読みふける。そうか、と木村ふと何か気付いて呟くと、将棋はむつかしいものだと、それに答えるように升田が呟いた。
 木村前名人の長考の途中、七時に夕食となる。
 新東海新聞の人が私の為にお酒をもってきた。手合が終ってから、暁方のむから、夕食の時にはいらない、と私はことわっておいたのに、先方が親切すぎて、ムリヤリ持ってきて、すすめる。
 今のむのは、私の方はつらいのだ。なぜと言って、てんで分りもしない将棋を、一時間二時間の長考のオツキアイをする、前晩もねていないから、ずいぶんゼドリンをのんでいるのだが、ねむくて、たまらぬ。酒をのんでは、尚さら睡くてたまらぬだろう。
 すると新聞社の人が、私に見切りをつけて、升田八段に湯呑みを差して、疲れを忘れますよ、一パイ、とすすめる。
 升田八段、私を見てクスリと笑って、
「酒を飲みおって、不謹慎やと、坂口さん、観戦記に書くのやろうなァ」
 と、てれながら湯呑みを受けとって、酒をついでもらった。
 そこで私もオツキアイをして、少しのむことになった。二合ぐらいずつ飲んだようだ。
 木村前名人は私のゼドリンを五粒のんだ。
 前名人はゼドリンとかヒロポンという覚醒剤を用いたことがないのだが、汽車の中での話に、徹夜の時は、年のせいで、夜更けになると頭がぼやけるとこぼしたから、私がゼドリンをすすめた。
 私のように連用するのはよろしくないが、棋士の方は五日に一度とか、一週一度の手合であるから、連用にならず、害もすくないであろう。
 じゃア、あしたタメシてみましょうと前名人言っていた。がイザとなると、でも、マア、よしましょうと言う。けれども大成会の関本氏もともども、たしかに疲れが治りますよ、とすすめたもので、のんだ。
 のんだグアイはよかったが、手合のあとで眠れなくて困ったと、翌日こぼしていた。
 夕食は休憩時間をきめず、存分に休息したいと両棋士の意見で、二時間ちかく、ゆっくり休む。
 別室で加藤六段から、目下の前名人の長考について解説して貰う。
 加藤六段、大したもので、四四銀打、八二飛、四四銀成、四七飛、三四成銀、となり、以下六七飛成となっても、即詰がなく、前名人に悪くないという。実際に、この解説通りの手順となり、前名人の勝となったから、びっくりした。
 新東海新聞の親玉連はみんな将棋が強いのだそうだ。それぞれ盤にならべてみて、木村悪しという結論であったが、加藤六段の解説で、木村よしというから、にわかに色めき立っている。
 九時十分ごろ、では又、と向い合う。前名人、ひきつづいて、合計一時四十三分の長考の後、同飛ときる。とたんに升田八段、待ってましたとばかり、前名人の指の下から、ひったくるように、同金ととる。
 木村再び、何を、とばかり升田の手の下をくぐる素早さで、五三銀打、以下、バタバタバタ、二人の手がヒラヒラ、ヒラヒラ、盤上にもつれて舞って、アッというまに、八二飛、四四銀成、四七飛、三四成銀、六七飛成、とたんに、それだけ済んでいる。
 ようやく、二人の手がひっこむ。一パイ機嫌でヨロメキながら、と升田八段の唄がでた。
 木村前名人は、あと一時間半足らずしか残していないが、升田八段、まだ、二時間と使っていないのである。
 もっとも、相手の長考のあいだ、自分の手番の意気込みで、いと勇ましく読んではいた。そのあげくが、いつも例のバタバタ、横ッ面のヒッパタキ合いということになる。
 このあたりまで升田八段、威勢がよかった。やがて、にわかに弱りだす。
 我々の小説でも、原稿紙に向えば、いつも同じ、とは参らぬもので、気組みの相違もあるし、よく読める日、読みの浅い日、心構えで、色々と変りがある。
 思うに、升田八段は、この日は、いささか軽率であったと、私は見受けた。木村何者ぞ、軽く一蹴、というような、自ら恃みすぎて、敵を軽んじたところがあったと私は思った。私には棋譜は分らぬ。ただ、心理を読んでいるだけである。
 この一戦は、心構えで、たしかに前名人が勝っていた。二時間の長考をムダにして、よく忍び、ええママヨという勇み肌をつつましく避けてでた。この一戦に関する限り、升田八段には、これだけの心構え、つつましさはなかったようだ。
 ハッタリというものは、有ってもよろしい。これは、ただ、外形的なもので、腹の中の内容まで、ハッタリであってはならぬ。
 勝負は気合いだというが、これはウソだ。およそ勝負は、気合いを避けねばならぬ。そして、勝負は、常に、ただ、確実でなければならぬ。確実に勝たねばならぬ。確実ということは、要するに一番速いということでもある。
 この一戦に関する限り、升田は確実ではなかった。勝負は確実でなければならぬ、ということを最もよく知る升田が、この一戦では、それを失っている。
 確実という魂が読んではおらず、ハッタリという魂が読んでおった。
 ゼドリンと酒、使用時間の少さ、そんなことは問題ではない。その人の体質によって、勝負に多少の酒ぐらい飲んで悪いということはない。又確実な読みは時間の長さによるものではない。
 よく閃くときは、時間がいらぬ。小説もそうだ。一番よい着眼が、すぐヒョイヒョイと閃くという時もある。
 問題は心構えである。
 夕食後、木村長考の果、四四同飛、それからバタバタのあと、前名人一分ほど手を休めたが、七八銀打、すると升田八段、ヤッパシ! と大きな声、グイと盤上へかがみこむ。そして、また、大きな声で、
「それじゃア、いかんでしょう」
 と言う。
「ウン?」
 何が悪い、というように前名人ジロリと目を光らすが、升田八段、盤上へグイとかがんで頭をあげず、盤を睨んで、
「こっちが、いかんでしょう」
 と呟く。それから、大きな声で、
「カホクはあざなえるナワの如し。カホクはあざなえるナワの如し」
 と、念仏みたいに唸りはじめた。カホクは河北のことかな。彼は色々と学があって、私には分らぬ。
 四十五分、考えた、この一戦で、これが升田八段の最長考だ。蒸しタオルをとりよせて、両棋士、顔をふく。升田八段、カゼをひいて、長く風呂へはいらないから、クビをふくとタオルが真ッ黒になった。明日は風呂にはいらなければならぬ、と自分に申し渡すように呟いている。
 四十五分考えて、八六歩。木村同歩。
 升田八段、又考えこんだ。盤上へグイとかがみ、大目の玉でギロギロ睨んで、それは余人に非ずして、と唄を唄っていたが、にわかに大声を発して、
「一つ足りない、一つ足りない」
 つづいて、バン町皿屋敷、バンサラ、かと呟いた。ウームと胸をはって遠目に盤を睨むと思えば、ウムと俯して、目を光らせ、やがて、
「一つ足りない」
 これが唄になり、浪花節になる。ウームと唸り、ハッタと睨み、
「バンチョウ、サラヤシキ。オキクの場。オキクの場、オキクの場」
 一枚足らなくて、敵に詰みがないのである。
 バンサラ、オキクの場、一枚足らない苦吟が十五分、升田七八桂ナル、同金、六六歩。
 前名人、自陣をにらんで読むふけっていたが、ツマナイというわけかな、とかすかに呟いて、腕を組み、いよいよ敵陣をにらむ。
 これまた十五分考えて、四四桂と打つ。とたんに升田八段、
「ハッと打ったか」
 と呟いたが、つづいて大声を発して、ナルホドちぎる秋なすびかと、叫んで、これより手を代え品を代え、にぎやかに、又、いそがしく、七転八倒をはじめる。
「これ、きやがったか。そうかい。そうかい」
 いそがしく貧乏ゆすり。ハッと坐り直し、
「ホホホホホホ、ホホホホホホ」
 口をすぼめて、又、ホホホホホホ、それから、
「ホタルコイ。ホタルコイ。オオ、ホタル」
 と唄になった。とこんどは唸りとなり、
「ホタルカ、ホタチャン」
貧乏ゆすり。ハッとかがみ、ハッと起き、ヒョイと坐り、ツとアグラになり、口の方はなお忙しい。親父のヤリクリ、何とかと呟く次には、グイと上体をねじり起して、
「そういう手々がありますか。これは詰みがございますか。そうでございますか。こりゃ、いけない。こりゃ、いかん」
 そうだったか、そうでございますなァ、と言って、フフフフフと口をとんがらして笑った。
「軽率のソシリ、まぬがれがたしか」
 そして、やられましたか、フフフと笑う。
 イケネエ、イケネエ、ナンニモナラヌ。バカやりやがったか、キンランドンスの帯しめながら、何とかの母ちゃん泣いている。そして、又、フフフフと笑う。
「詰んだからなァ。これ、ビシャッと」
 ヒュヒュヒュと口笛。ハー、パー、パパパパ、ウーントコセエ、と唸り、
「いささか、困ったなァ、小生も。困った、困った」
 と三十一分苦しんで、三三金打。コマをパチパチ叩いた。
 升田八段、大混乱、苦悶の三十一分。ここで勝負はハッキリきまったらしい。
 木村前名人は、益々慎重である。落付こう、落付こう、とつとめているようだ。升田八段も、どうやら、混乱がおさまった。
 前名人、二分考えて、三二桂ナル。升田八段も二分ほど考え、いささかのことであった、と呟いて、同金ととる。前名人、銀をつまんで、四一銀打、攻撃をつづけるから、
「ナンボでも!」
 と升田八段、スットンキョウの大声で、大阪将棋会所風俗である。
 九分考え、面白くないな、と指一本で龍を抑えて、スーと横にひっぱって、四七へ逃げた。前名人、四四へ歩を打って、龍のききをさえぎる。
 そこで升田八段、自陣が金とれだから逃げなきゃならない。すぐ金をつまんで四二へ逃げようとしたが、
「どうも、もったいないな。こんなの、逃げちゃア」
 と、元において、盤を睨む。
「どうも、つみそうだな。バタバタバタバタ。バタバタバタバタ」
 頻りにバタバタバタバタを唸りながら三分考えて、マア、どうも、逃げてみ、と、四二金と逃げて、パチンパチンと叩いた。
 木村前名人、四分考えて、二四歩。すると、間髪を入れず、升田八段が三一玉とひいた。
 とたんに、前名人、サッと顔色を変え、
「サア、サア、これはまちがったぞ」
 顔色を失って、叫んだ。混乱、苦悶。こんどは前名人の番である。
 どういうマチガイだが、むろん私に分る筈はない。
「これは大変なことをしたぞ」
 と叫んで、マッカになって盤を睨み、
「これはガッカリ、ガッカリを、したぞ」
 そのとき、記録係の少年が、あと一時間です、前名人、うん、と呟いて盤をにらむ。
 前名人の苦悶は、尚つづく。
「バカな手をさしたな」
 考え込んで、
「ウッカリした手をさしたな」
 アー、ア、と大息をもらして小用にたつ。
 戻ってきて、又、考えこみ、
「読めないなァ。どうも。むつかしいな。わからないことをしちゃったネ、この将棋は」
 三十三分も考えて、
「ショウガないな、ここへ金をひとつ、やッちゃい!」
 と言って、三二金打。
 素人の悲しさ、私は前名人に、だまされたのである。べつに前名人、危いわけではなかったのだ。
 けれども、サッと顔色を失い、これはマチガッタゾ、と叫んだのに、ウソのあろう筈はない。三一玉を見落としていただろう。けれども、よくよく読んでみると、前名人が読み忘れたというだけで、別段に鬼手というわけでもない。
 こっちは、そんなこととは知らないから、前名人が、顔色を変えて叫んだ時には、いよいよ前名人の負かと思った。
 升田八段は、すました顔で、前名人の混乱、苦悶をうけ流している。実際は、その混乱、苦悶に値せぬ手で、自分の負けを承知しきった冷静であったのだろう。然し、素人の私に、そんなことは分らない。ここでドンデン返しとは、木村前名人よくよく運のない人だ、などと、私はそぞろ同情の涙禁じ難い胸の思いであった次第。まったく、ひどい目にあった。
 私のようなヘボ碁でも、勝碁にきまった時に限って、サア、しまったなどと、顔色変えて叫んでみることがある。さしたることでないと知りながら、やる時もあり、ほんとに一時ハッとする時もある。
 専門家でも、勝負心理のクセというものは、同じものであるらしい。
 前名人の四三成銀に、升田八段、うるさいことをやってきたな、と呟いて考えこみ、
「あとは野となれ、山となれ」
 ウーウウウと鼻唄で浪花節をやりだす。
 木村前名人、わが勝とみて、益々慎重をきわめ、コウくると、こう、コウクルト、と一々呟きながら読んでいる。
 升田八段、九分考えて、三四銀。三二成銀、同玉、五二飛打。
 ここで、升田八段、又、大混乱。
「ワシア、打ちきりであった、ワシア」
 それから、
「サッカク、シテオッタ。サッカク」
 それから、浪花節だか、義太夫だか、わからぬような鼻唄となり、
「イカンコトヲシタ。イカンコトヲした。ショウガナイ。ショウガナイ。ショウガアリマセン」
 おやおや、やっぱり升田八段が悪いのか、とようやく私に、また、わかる。
 碁の方だと、盤面を計算することができるから、私のヘボ碁でも勝敗の察しはつくが、将棋の方は、棋士の態度で勝敗優劣を判ずる以外に手がないのだから、私の立場というものは、まことに侘しく、悲しいもので、妙に無能を意識させられれ、みじめな思いを感じさせられるものなのである。
 升田四二金打、二三歩ナル、同玉、二四金、三二玉、三四金。すると升田八段、
「ウーン、ソレマデカ」
 と一唸りして、五二金、四三銀。
 そこで、升田八段、ペコンと頭をさげた。負けたのである。つまり、口の方では、一打前に、ソレマデカ、先廻りの一唸り、白旗をあげておいたのである。
 そのとき、午後十一時五十五分。
 夜の明け時までかかる覚悟をかためていたが、升田八段がいくらも時間を使わないので、おかげで私は助かった。
 勝負が終ってからも、両棋士はコマを並べて、オサライをする。その熱心さ、はなはだヒタムキである。
 三十分ほどオツキアイして、私は酒をのみ、風呂をあびて、ねた。両棋士はあけ方の三時半まで、コマを並べて検討し合っていたそうだ。
 升田八段は、それから更に五時ごろまで、新聞社の人と碁を打っていたそうだ。
 私の寝室には、升田八段の荷物がある。一ヶ月東京に遠征していた荷物だから、大きくふくらんだリュックと、ハンゴーがある。復員のヤミ屋という姿である。
 翌日、升田八段は睡眠不足で青ざめていたが、ミレンげなところは、まったく、なかった。
 対局前の不穏な殺気、敵愾心にくらべて、対局中はともに真剣であるというだけで、殺気立ったところはなかったが、対局後はまた、以外に平和、穏やかな御両名であった。
 にわかに打ち解けて、仲よしになったような様子であった。
「二人は性格が似てるんじゃないかな。ねえ、君」
 と木村前名人が、升田八段に言う。
 たしかに、似たところはあるようだ。
 大成会の関本氏が升田八段を評して、勝負師はあれでいい、あれで四十を越すと、ちょうど良くなるんですよ、と言った。
「ねえ、君、勝負師は傲慢なウヌボレがなきゃダメだよ。オレが一番強いというウヌボレね。強いから、うぬぼれるんだ」
 と、木村前名人が言うと、升田八段が、うなずいた。
 升田八段の態度を肯定してやろうとする前名人がのイタワリでもあったが、又、自分自身もそうだ、ということの肯定で、二人の中の同質なものの、発見から、友情を育てようとする、あたたかい思いがこもっていた。
 升田八段は、実は謙虚な男である。
 私のような未熟者が、と彼は言った。それは全くそれだけの裏のない言葉で、イヤ味というものが感じられない、ザックバランの言葉であった。
 それが彼の偽らぬ気持であるに相違ない。実際、彼はそういう男だ。むろんウヌボレはある。自恃の念は逞しい。然し、わが芸道の未熟について省察を忘れることない男である。
 復員ヤミ屋みたいな姿で、平気で東海道を往復している彼は、昔の武者修行者と同じような、修業一途の遍歴に打ちこんでいる、それだけの生一本な男なのである。
 卑屈なところがミジンもなく、その謙虚が泌々と素直にでていて、気持ちがよい。
 木村前名人が、又、あの勝った瞬間から、すこしもイヤ味がないので、私は感心した。
 負けた敵に同情するような安っぽさはミジンもない。そのくせ、勝ったという圧迫を、相手におしつけるようなところも、まったくない。まことに自然で、このへんは、勝ちなれた王者の貫禄というようなものだ。
 たぶんきわめて心のやさしい人なのだろう。
 升田八段にも、そういう素直なやさしい心がある。
 然し、升田八段の方は、まだ若いから、勝負師の激しさが前面へ押しだされており、そのために、人柄まで、傲慢という風に見える。
 木村前名人の方は、あべこべに、心のやさしさ素直さが前面へでて、勝負師の激しい気魄が隠されている。わるく言えば、そのおかげで、実際、勝負師の気魄まで薄れたようなところがある。
 勝負師の気魄と、持ち前の気質のやさしさ、この二つは別物だから、こんがらがらせてはいけない。対局の翌日の両棋士は、心の素直な、やさしい二人であった。
 この一局に升田八段が敗れたことは、彼のために、多くの実をもたらすものではないかと思う。
 彼はたしかに軽率であった。心にユルミがった。敵を軽く見ていた。
 敵を軽んじるようになっては、悪い意味の慢心である。
 対局前夜の泥酔、然し、泥酔はまだいいのだが、睡眠不足、心構えが足らなかった。
 私はムリな仕事をするツグナイとして、いかに睡眠を利用するかということに、最も心を配っている、。だから、ともかくカラダがもてるというもんだ。
 升田八段はまだ血気だから、多少のムリぐらい、と気負っているかも知れぬが、文学だって、将棋だって、同じだろう。眠り不足の頭では、鋭い閃きや、深い読みはできないものだ。
 彼は、この一戦、確実に読みきる心構えにも欠けるところがあったが、確実に読みきる生理にも欠けるところがあったと私は思っている。
 対局前夜は人にひきずられず、自分のペースで酒を飲み、自分のペースで、眠りをとる、その用意が欠けてはならぬ。
 同時に又、木村前名人の方は、この一戦の勝利によって、新生面の発芽をつかみ得たのじゃないかと考えられる。
 升田将棋の原則は、本来木村のもので、本来木村はカンによってそれを知りながら、時代的な相違の為に、その本来のものを育てず、逆な風格を育ててしまった人であるから勝負師本来の原則をつかめば、たちどころに龍となって復活する大達人である。
 二人の今後の争いほど、二人を育てるものはない筈である。
 そして、それをめぐって新人の棋風を一変させ、将棋に革命的な飛躍が行われるに相違ない。
 全ての道に、そうあれかし、と私は祈って観戦記を終る。


*1 該当対局(棋譜でーたべーす)
*2 「升田八段」は底本では「升田八夜」
*3 「三六歩」は底本では「三六秒」


底本:定本 坂口安吾全集 第七巻(1967 冬樹社)
(初出 評論集『教祖の文学』に収められた 当時の新聞か将棋世界あたりに載っていないか)
整形の仕方は
青空文庫を参考にしています。


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